あなたを待っている・トラック諸島(チュック)の思い出

ヤシの木が生い茂り、照りつける太陽と海の碧さは南国ならではの風景であるミクロネシア諸島。かつてここで戦争があったなんて、今の若者には知るよしもない。だがしかし、島で出会った老婆の一言が、私が日本人であることを思い出させ、今も心の隅で何かを締め付けている気がする。

南国の海が私は好き。釣り人短絡的な発想で話をすれば、そこには魚がいっぱいいるからという安易な発想である。都会の雑多の中で日々の生活を過ごす僕らにとって、少ない休みを使って南の無人島で過ごすことは、当時の私にはとても貴重な時間であった。

日本から真南へ赤道に近いところまで辿ると、トラック諸島と呼ばれるミクロネシア共和国の一部がある。今はチュックと名前を変えたが、かつて第二次世界大戦で日本の占領下に置かれ、島の名は春・夏・秋・冬島と呼ばれた島々が集まっている。一昔前、釣り仲間達と心を癒すために年に数度訪れていた無人島は、本島のモエン(現在はウエノ島になったらしい。日本統治下時代は 春島) 島から程なく離れた場所で、東西へ2キロほどの距離を持つファロスという島。この島は東西には長いものの、南北へは100メートル足らずしかなく、タイフーンが来ればひとたまりもない大きさ。バンガーローと呼ぶにはおこがましいバラック小屋に寝泊まりし、水や電気などは全くない場所。食料はモエン島を離れる際に必要なものを買い揃え、煮炊きをしてくれる人足と一緒に乗り込むという寸法で釣りと無人島を楽しむのだ。

風呂はスコール、トイレは海。灯油ランプの光でひと晩中仲間と語り明かし、日が出れば島のリーフからのキャスティングで五目釣りを楽しむ。お昼になればビールを煽り、ハンモックでゴロン。日が傾けばフライロッドを振り回し、釣りに明け暮れる。獲物の何匹かは夕食のごちそうにしてもらい、ヤシの葉の隙間から覗く満点の星空に、夜空の明るさを知る。島の時間はいつだってお日様と一緒。思い思いの場所で過ごす仲間達も、太陽が沈む頃に戻ってくる。

「どう?今日は釣れたの?」
「いや、今日はダメ。」と私。

この島の持ち主である、インター婆さんは流ちょうな日本語で話しかけてくる。彼女は、久しぶりに日本人との会話を楽しんでいるかのようだ。僕らがこの島へ来ると聞くと、わざわざ料理の腕を振るうために、一緒に島へ渡ってくるのだ。僕らが今夜のおかずを取ってこないことを知ると、彼女は天蚕糸の先に鈎の付いた素朴な仕掛けを持ち出してきた。そのフックに夕べの残り物を絡めつけると、海へ向かってヒョイと投げ込む。そうして糸を垂れて夕日でも眺めようかという間もなく、獲物はすぐにかかる豊かな場所。

「あんたたちダメね、魚はこうやって釣るのよ。」年齢を重ねた顔に笑みを浮かべて僕らに語りかける彼女。こうしてその夜も新鮮な魚とともに、炎を囲んで仲間との語らいが始まった。

島へ来て既に数日が経ち魚の話も飽きたし何か話題をと、インター婆さんに昔の事を語ってもらった。春島の頂上付近にあるナバロンの要塞のような大きな砲台のこと。山本イソロクがこの海で死んだこと。この島にも慰霊碑があること、日本語は占領下時代に教わったこと、などなど。

「インターさんはいくつの時結婚したの?」と、私が訪ねた。すると彼女は、遠くを見つめながら広島弁で語り出した。

「私はね、若い時に結婚したの。相手は広島出身の日本人。ダンナサマとは恋愛結婚なのよ。子供ができ、幸せに暮らしていたのだけれど、ダンナサマは日本へ帰らなくちゃいけなくなり、返ったの。やがて子供も大きくなり、子供達がダンナサマの事を心配ししてくれたわ。だから私の子供達は日本へお父さんを探しに行ってくれたの。日本って大きいのね。広島に行けばすぐにわかると思ったのだけれど、だめだったの。でもね、ダンナサマは必ず帰ってくると約束したの。何かの事情があって帰れないのよ。私はダンナサマが帰ってくるまでいつまでも待っているわ。」

間も無く戦後50年を迎えるこの年。私は喉に何かが詰まったかのように、思うように言葉が出てこなくなってしまった。

先日、パールハーバーがあるオアフ島の釣行で島の住民に突然関西訛りの日本語で話しかけられた時、ふとインターバーさんのことを思いだした。彼女は元気でいるのだろうか。おしゃべりな住民の話をよそに、見上げた空にはトラックと同じ青が広がっていた。

2018/8/18追記:ファロス島の場所はココです。

気分は桃太郎のおばあさん?(フライフィッシング小話)

管理人的にはこれ以上仕事は増やしたくなかったのだけれど、皆にやれと言われたので始めることになったブログ。書く時間がどんだけあるのやらと思いますが、時間を見つけて書いてみます。

で、ネタを新たに書き起こすのが面倒だったので、とりあえず、以前フェイスブックに書いた小話を一つ。

釣り人(フライフィッシャーマン)はトラウト(鱒)のエサとなる川に流れる虫を日々研究し毛鉤を巻いている。それはカゲロウだったり、バッタだったりアリだったり。次回訪れる時のために流れていた虫を参考にした毛鉤を持ち込んで釣るのだが、とある川では色々な物が流れてくることがある。

東京にほどなく近い有名なK川は湧水を多く含む里川で、近くには国道が走っている。街は年々賑やかになるが、川に隣接するある店裏でライズ(エサを食べる為に跳ねること)するヤマメは強敵だった。色々なフライ(虫に似せた毛鉤)を試してみてもなかなか釣れない。色々と手を尽くしても手応えは全くなかったのだが、最後に使った白の小さなマラブーフライに反応し、ようやく目的の魚を手にしたのだった。

「コヤツ、何を喰っているのだ?」と、ストマックポンプ(食べていた物を見る為にゲロさせる道具)を使い、胃の内容物を見ると、なんと米粒で腹一杯なのである。さらに赤いエビのしっぽ。そしてその上流部にはお寿司屋が・・。実はこの魚は偏食でありグルメなんです。 次回はエビのしっぽフライ必携だなと思ったその日。

これは里川に限った事ではない。山奥へイワナ狙いにお客さんと出かけた時の事。深い谷を降りてようやく渓へたどり着き準備を始めた。するとイワナがライズ、目の前でするのである。何を喰っているのかと目をやると、強い風が吹くたびに落ちているバッタであった。

本日はバッタなのだと確信しボックスからバッタフライを探していると、また川面でポチャンと波紋ができた。その周りをよく見ると、イワナがカエルを追いかけ回している。「今度はカエルか。」って言っても、そんなフライは持っている訳がない。

ようやくタックル(道具)を準備し終わると今度は上流からやや大きな物が流れてきた。ネズミの様なその生物の正体はモグラ。さすがにこんな大きな物は食べないだろうと、二人で大笑いした。

さてロッド(竿)を振るかと上流へ歩き出そうとした瞬間、今度はガラガラと音を立ててとてつもない物が落ちてくる。崖崩れかと思ったら、なんと子鹿が落ちてきたのだ。子鹿は僕らと目が合い、唖然としながらなすすべもなく渓流を流されていくが、僕らには何もする事ができず、子鹿の川流れを見送った。その姿が見えなくなる頃に仲間から声が掛かった。

「稲見っち、ディアヘアカディス持ってる?」
「なぜに?」と問い返すと、
「だって、ディア(鹿)流れて行ったじゃん。」(爆笑)。

嘘のような本当の話なんです、マジで。

その後ディアヘアカディスとバッタフライで入れ食いを堪能した、嘘のような本当の話です。

お後がよろしいようで。