もう花火なんてどれくらいしていないでしょうか。我が家の子供達が小学生だった頃はキャンプの際に周りに気を使いながらひっそりとするか、あるいは自宅近くの堤防でドラゴン花火を上げていたのが10年ぐらい前。もう使えないであろうその在庫は今でも家の片隅にあるのかな。
大きな花火と違い地味に咲いてその精細な細部をボーっと眺めていると、最後は火の玉が悲しげに落ちる線香花火。シークロの岡本船長が「なんか線香花火見たいですね」と呟いたのは釣りの終わり頃のこと。最初は色とりどりの花を咲かせる手持ち花火の様に、荒々しい波間に沸き立つ様に現れるシーバスたちが、カラフルなフローティングミノーにもんどり打って僕らを楽しませてくれていた。時が過ぎて潮が大きく下がるとその荒々しさが徐々に少なくなり、ポイントをいくつか変えたタンカーの壁際。そこで正体不明の小さなボイルが繰り返されていた。それに向かってキャストすると掛かるシーバスは小学一年生サイズ。パッと細やかに咲く水柱は繊細で、確かに線香花火の様なはかなさを感じました。
秋のシーバスはドバッと咲く水柱が大きければバケツをひっくり返した様なGTのごとく。時に何のボイルだろうかと解らない線香花火の様なスプラッシュの正体も同じ。釣りはいつでも自分の思い通りにならないのが、また楽しいのです。