この秋、私はすでに何回シーバス船で東京湾へ繰り出しているのでしょうか。ランカーは時に思わせぶりに大きなフライにチェイスしてきたり、私のフライを通り越して隣りの仲間にバイトしたり。お魚の心はいつも読み切ることはできません。しかしながら経験はたくさんあるので、それを元に新たなフライを巻くのが好きな私。フライは思い浮かんだ新しい発想を盛り込み、シーバスの餌となる今季のベイト(小魚)を見てサイズを決め、前回思い通りにならなかった部分に改良点を加えて新たなパターンを生み出すのです。
釣り人は暴走族ならぬ、妄想族。
釣りへ行く前にはすでにそのシチュエーションが頭の中で妄想され、イメージトレーニングはいつでも万全。創作された新しいフライは使う前からその一挙一動が瞼の裏にある妄想の世界でモンスターが釣られているので、ボートへ乗り込む時には自信満々でポジティブな気持ち。
「さっき(前便)までボイルがすごかったので、今日は大丈夫でしょう。」なんて言われた日には、我が心そこにあらず。一投入魂、フライに魂と愛を込めてポイントへ投げ込むのです。都会の明るさを教えてくれる夜空の曇天は、星空の瞬きと違い日没直後を思わせる明るさ。その下にはロリとした光沢のある暗い海があり、キャストされた大きなフライが海面に引き波を立てながら戻って来るのが見えた。一投、二投、何事もない。さらに投げ続けると、その運動量から汗が噴き出てくる。しかし夜の海は極めて静かなのである。釣れそうな予感からか何度も同じポイントへ船を戻す船長だが、結局私のフライはシーバスに気に入って貰えられずにチェイスすることさえなく、暗い海にただ小さな引き波を引き続けるだけであった。
その後オデコ逃れのための数釣りを目指すもボイルはほとんどなく、『前便まではすごかったのに。」という言葉とは裏腹に、僅か6〜7時間で海は一変し僕らは型を見るのも難儀した横浜の夜となってしまいました。
今年の私は妄想が現実となる事が何一つもなく、その想いはいつも片想いのまま。一つも身を結ばないという事は、私はお魚の気持ちがちっとも分かってない独りよがりな釣りをしているのでしょう。それはまるで片思いの恋愛と同じなんだなぁ、と感じた夜でした。
帰りの車中ではハマショーの『片想い』がヘビーローテーションで掛かっていた事は察しの通り。私の釣りは一体どこへ向かっているのでしょう?