「人生はなる様にしかならない。」と言っている割に、新天地での営業を考えると不安で仕方ない私。移転までにやらにゃならんリストをあげてみましたが、引越しって大変ですな。そんな状況なので残りの水道橋生活を楽しめず、この場所での営業がカウントダウンがされています。
考え事が多い時の現実逃避は私の場合はやっぱり釣り。といってもお店をほったらかしには出来ないので、本栖湖ではなく出勤前に現実逃避。朝霞ガーデン? いえいえ、これだけフローティング・スーモの話をしているのだから、それのテスト釣行の筈だったのだけれど・・。
少し話を脱線させて、私のシーバス史を少しお話しさせて。
私がスズキ(実際にはフッコサイズ)釣りを始めたのは小学校5年生頃(1974年)からで、自営業である父の仕事について行き、永代橋脇で餌釣りを楽しんでました。中学生になると住んでいる文京区からチャリンコで品川埠頭まで行き、ラパラCD9を神ルアーだと思って投げまくってましたが、当時の芝浦水門周りにはセイゴサイズが沢山泳いでいたんですよ。で、スピナーやスプーンでも小さいシーバスならば釣れたのでフライでも釣れるのでは?と思い、モンタナやウーリーバガーで釣り始めたのが私のシーバス・フライ史の始まり。
サラリーマンの頃(1990年代)は釣り仲間が持っているボートに乗り、横浜や東京湾奥で楽しんでたりしてましたが、当初はタイプ3〜4のフルシンキングラインにクラウザーミノーとデシーバー位しかパターンが無く、白のゾンカーを使い始めたのは90年代半ばになってからでしょか。なので、シーバスのフライフィッシングと言えば沈めて引っ張るのが主流だったのです。これはスズキ釣りの格言である「スズキはタナ(深さ)を釣れ。」という言葉があったので、一生懸命スズキのいるタナに合わせていたんですね。
フローティングミノーの出現は2000年代半ばで、イワイさんがシーバスに使い始めたのがその起源。私はその頃すでに世捨て丸でシーバスガイドをしていたので、「フローティングミノーで爆釣」なんて話には耳を傾けることなく、エンリコのピーナッツバターを使うことに徹した漢引きの世界。しかしやらずに批判するのもと思い使い始めたら、釣れるのなんのって。そのエキサイティングなトップウォーターゲームに魅了された人々が、その後こうして各地の海でフローティングミノーを投げまくっているのです。
そして現在のメガサイズのトップウォータールアーに触発されて大物狙いの人は総じてフライが大きくなったのは一部の方々。そんな大きなフライを投げているのはシーバス・フライ人口の僅か1%もいないお馬鹿な集団。それも私の知る限りほんの数十名の世界じゃないかな。決して入れ喰いになる事も無く、ひたすらキャストを続ける修行僧みたいなもの。そんな僕らがトップウォーターの最終形にたどり着き、いつか悟りを開くと良いのですが・・。
と言う事で前置きが長くなりましたが、本日朝はシーバス修行して参りました。
本日の悟り:釣欲を抑え無の境地でキャストを続ける努力