Motosu Dreamer(夢追い人)

釣り人はとかく妄想癖が多い人種ではないだろうか?思い描いたポジティブな妄想は打ち砕かれる連続なのに、心が折れることは少ない変わった生き物だと思う。

夢を追い求めての本栖湖通いはじめて早40年の月日が過ぎたが、今シーズンも嵐とともにスタートした気がしたので出かけた次第。もっとも富士山を前にロッドを振っているだけで私の心は50%以上は満たされるのである。

さて昨日の本栖湖は?

平日というのにフライフィッシャーマンが合計で7名ほど。前々日の台風の影響で大増水を狙ってきたのだけれど、平水よりちょっと少なめでバックが取りやすく、振りやすい状況。天気は一日中曇天でサイトフィッシングはできず、湖岸沿いを前進しながらのドライフライのランダム打ち。そして濁りのポイントを探して沈めての釣り。どちらも撃沈でした。

水温がもう少し下がる11月中旬ぐらいから、そこそこ釣果が出始めるはず。私は数々のドラマを本栖湖で経験してきたけれど、そのドラマのほとんどが成就しない。しかし、もし夢のサイズをキャッチしたとしても、これからもずっと本栖湖夢い追い人でいることでしょう。Motosu-ko Love.

本栖湖地図
本栖湖はこんな感じ。今シーズン初めてなので、今回はぐるっと回って見て、あまり手を出さないポイントを中心に狙ったみた。珍しくルアーでバスを狙っている方もいましたヨ。
こんな風に地面からジャバジャバ湧いているところがたくさんある時は、その流れに刺してくることが多い。それを期待したけれど、今回はちょっと水温が高めだったので、不発。

 

銀色のヤツ
40cmほどのレインボーはフライの下でグルリと輪を描いて立ち去った。その数投後に顔を出した銀色のヤツ。何も釣れないよりはマシか・・。
給水塔ワンドに見事な濁り。でも濁りが強過ぎて不発。さじ加減が難しいですなぁ。

 

いつも魚券を買う湖仙荘さんがお休みだったので、観光協会で入漁証を購入。で、本栖湖マップが置いてあったので頂きましたが、なんと93-94年の資料(笑)。降旗さんの話が書いてあるのは懐かしいけれど、今の状況とはかなりかけ離れている。なので手が空いたら、私が本栖湖マップ現代版を書きます。しばしお待ちを。ハーミットのオープン当初(18-9年前)に私が書いた本栖湖マップはこちら
明日からヒメマス解禁なのか、スポセン前のバスにクーラーがずらり。ここのローカルルールで、ボートの出船順はクーラーの順番で決まる。てか、どうして一日前にこんなにたくさん?本日の湖上は賑やかでしょう。

私的フライフィッシング史・1

私は根っからの釣り好きで、昔から色々な釣りを楽しんでいる。そう、僕らの世代は少年マガジンで釣りキチ三平くんが活躍する時代だったので、釣り好き男子はきっと多かったと思う。小学校高学年ごろのマイブームは流行り始めたルアーで狙う、ブラックバスが脚光を浴び始めたころ。当時は芦ノ湖や相模湖にしかいないと思っていたブラックバスだが、ルアーを初めた翌年に釣り雑誌で雄蛇ヶ池のブラックバスが紹介されていた。それを見て友達と一緒に電車を乗り継いで雄蛇ヶ池に行った時に初めてフライフィッシングと出会った。

当時の雄蛇ヶ池はその大半を睡と菱藻などに覆われたヘビーカバーで、主にルアーはフロッグで狙っていたけれど釣れるのは雷魚ばかり。お目当のブラックバスなんて滅多に釣れることはなかった。そんな中、長いタコ紐のような糸をブンブン飛ばし、1キャストごとに魚を釣っているオジサンがいた。ウェーディングしているそのおじさんは藻穴にキャストを繰り返し、ブルーギルを次々と釣っていく。その入れ食いの釣りを見て自分でもやって見たくなったのだけれど、おじさんに話しかける勇気もなく、後日釣り雑誌で調べてそれがフライフィッシングであることがわかった。

そしてお年玉で買ったのはシェイクスピアのフライフィッシングセットで、確か¥9,800ぐらいだったと思う。道具を手に入れたものの、当時は入門書なんてものは全くないので、テキトーに振り回していた次第。何よりも都会っ子の私は家の近所に川などないから、雨が降るとアスファルトの上でロールキャストの練習をしたいた。そしてその年の初夏にブルーギルデビューを果たし、ついでに小バスを釣って大喜びしていたのが遠い思い出。

千葉県の東金に寄った時は今でも必ず雄蛇ヶ池に顔を出すが、当時の象徴だった睡は今はどこにもない。それでも、水面を見つめながら昔の記憶を辿るのは好きである。

メイホーのボックスは小学校の時に買ったものをまだ使っている。中学校に入って覚えたての英語を書き加えているが、そのTの大文字が笑える。その上にあるダイワのトライアンフも当時買ったもの。思い出が詰まった釣り具は捨てられない。
フライを初めてしばらくしてから手に入れた本。スポーツノートは当時流行ってましたな。フライフィッシングの章もあったのだけれど、誰かに貸したまま帰ってこない。ジム・グリーンのフライキャスティングも同じで、初版は昭和47年だけれども、これは再度手に入れた平成の本。

 

ブラックバスの本だけれど、中を開けるとこんなページが。この本ではフライキャスティングは難しくなく、1時間で習得できるそうな。40年以上続けていてもまだキャスティングに悩んでいる私は下手なのか?(笑)

ブランド鱒

10月に入り私の心は湖モードで、本栖湖はちと早いので野反湖へ。と行きたいところですが、ストイックな釣りばかりを紹介していると皆さんの足が重くなるので、10月の釣り情報として急遽 “日本のニュージランドを目指す”(というキャッチフレーズを当初はつけていた)へ久しぶりに行って来ました。

昨年お伝えした群馬を代表するブランド鱒であるハコスチが引き続き人気が上々。このレインボートラウトは群馬県下のみに放流され「レインボー放流」とは書かず、「ハコスチ入ってます」的な表現が使われるブランド扱い。通常の放流レインボーは弱い引きとヒレがボロボロなために雑巾鱒と揶揄されることが多いですが、ハコスチはジャンプとダッシュで釣り人のロッドを絞り込み魅了します。昨年に引き続き神流川にも沢山放流されたようです。ですが、今回訪れたは渋川伊香保ICから10分ほどの場所にある利根川水系、坂東子持漁協冬季釣り場

昨年は利根川本流で行われていたこの冬季釣り場は、釣り切られなかったハコスチが見事に育ち、ダブハンを楽しんでいる人々のロッドを絞り込む、新しいターゲットとなっています。今年は元に戻って吾妻川で開催ですが、利根川よりも規模は小さいものの場所が広々としているので、魚が掛かればそのダッシュ力を味わえますヨ。

管理棟を尋ねると「水温は朝で20℃だよ。」と言われたので、流れと水温と影をキーワードに釣ることに。何度も訪れている場所なので、ポイントはそれとなくわかるので、オープンから11時までの3時間でニンフで11本ドライで1本という釣果。サイズは大体55〜65cmくらい。さすがにサイズが良くて腕が痛くなったのと、熱中症になりそうな雰囲気だったので午前中で退散し、下道で帰路へつきました。中山道の下道は久しぶりに走りましたが、国道4号線と同じく、バイパスが多くなり意外と早く帰れるものですね、東京まで2時間半でした。

なんか特別なフライでも使っているのかと思われたくないので、今回のフライは全部店頭に売っているコマーシャルフライを使用。タックルはこんな感じです。

Rod:Scott Radian 905/4
Reel:Lamson Speedster 2
Line:SA Magnum WF5F
Leader:TH Trout 10ft 3X
Tippet:TH Nylon Tippet 4Xを50cm
Fly:ヘアーズイヤー#12・フェザントテールニンフ#12・スティミュレーター#8
Shot:ディンスモア No,1を1個
Marker:CFFストライクマーカー L

タナは場所によって異なりますが、1〜1.5mという感じ。

水温がまだ高いので、狙い目は10月下旬以降くらいでしょうか。水温が下がれば(15℃以下くらい)活性はもっと良くなると思います。ただし、この釣り場は入漁証が¥3,000と管釣り並みなのと、対価を払っても入門したばかりの方々には手強い場所なので(魚が大きい代わりに放流数が少ない)、ある程度川に慣れた人にオススメです。

まだ今月の釣り予定を立てていないあなた。でっかい鱒の引きを楽しんでみてはいかが?

魚の重さと引きで、こんなになっちゃった。2本釣って交換。ちなみにティペットはフライのアイから毎回10cmほど切るか全交換して繋ぎ直さないと切れちゃいますので、ティペットのザラザラ確認は怠りなく。
ハコスチ
図体の割にはフライはちっこい方が良い感じ。ルアーの人よりもフライへの反応の方が良い感じでした。1本をランディングするのに5〜8分かかります。
C&R中流エリアの荒瀬はその隙間を釣っていく感じ。魚の好きな流れを探して、石の頭を釣るのがポイント。魚の影を探すのは慣れしかありません。

 

私は右岸側に登って魚体を探し、サイトニンフィングするのが好き。ただ曇りになっちゃうと途端に見えなくなります。
ハコスチ2
ヒレの回復具合はこんな感じ。スピードとダッシュは他のレインボーよりは引きが強いので、広い吾妻川では掛けた途端にジャンプと走りが釣り人を魅了します。なんて言っていると物凄いことになっている感じに聞こえますが、海外でスティールヘッドを楽しんだことがある人はそこまで期待しないでください。
空のドライシェイクスプレー見っけ。このままにして置くとフライをやる人のイメージダウンに繋がるので、自分のものでなくても持ち帰り自分のゴミと一緒に捨てましょう。
意外にも釣り人の足跡よりも鹿やイノシシの足跡が多かった。ちなみに入渓点が少ないので、行き慣れていない人は魚券を買うときにパンフをもらいましょう。
ヘビのジムグリ
テトラの隙間で日向ぼっこするジムグリ。もうすぐ冬眠するのかな?

 

青空が高いけれど、昨日は外気温高過ぎ。水を忘れて熱中症になりそうだった。ふぅ。
ハコスチ3
お魚は途中から写真を撮るのが面倒になったので、適当な感じ。放流サイズなのでチビは全くおらず、慣らして55-65cm中心。一番走った個体でフライラインを全部持って行った。ドライフライはライズを見つけての狙い撃ち。11本の中で1匹だけ片目くんで、それ以外はまずまずのコンディション。この魚たちが残ったら、ヒゲナガシーズンは面白いでしょう。坂東子持漁協のページはこちらです。

あなたを待っている

ヤシの木が生い茂り、照りつける太陽と海の青さは南国ならではの風景であるミクロネシア諸島。かつてここで戦争があったなんて、今の若者には知るよしもない。だがしかし、島で出会った老婆の一言が、私が日本人であることを思い出させ、今も心の隅で何かを締め付けている気がする。

南国の海が私は好き。釣り人短絡的な発想で話をすれば、そこには魚がいっぱいいるからという安易な発想である。都会の雑多の中で日々の生活を過ごす僕らにとって、少ない休みを使って南の無人島で過ごすことは、当時の私にはとても貴重な時間であった。

日本から真南へ赤道に近いところまで辿ると、トラック諸島と呼ばれるミクロネシア共和国の一部がある。今はチュックと名前を変えたが、かつて第二次世界大戦で日本の占領下に置かれ、島の名は春・夏・秋・冬島と呼ばれた島々が集まっている。一昔前、釣り仲間達と心を癒すために年に数度訪れていた無人島は、本島のモエン(現在はウエノ島になったらしい。日本統治下時代は 春島) 島から程なく離れた場所で、東西へ2キロほどの距離を持つファロスという島。この島は東西には長いものの、南北へは100メートル足らずしかなく、タイフーンが来ればひとたまりもない大きさ。バンガーローと呼ぶにはおこがましいバラック小屋に寝泊まりし、水や電気などは全くない場所。食料はモエン島を離れる際に必要なものを買い揃え、煮炊きをしてくれる人足と一緒に乗り込むという寸法で釣りと無人島を楽しむ。

風呂はスコール、トイレは海。灯油ランプの光でひと晩中仲間と語り明かし、日が出れば島のリーフからのキャスティングで五目釣りを楽しむ。お昼になればビールを煽り、ハンモックでゴロン。日が傾けばフライロッドを振り回し、釣りに明け暮れる。獲物の何匹かは夕食のごちそうにしてもらい、ヤシの葉の隙間から覗く満点の星空に、夜空の明るさを知る。島の時間はいつだってお日様と一緒。思い思いの場所で過ごす仲間達も、太陽が沈む頃に戻ってくる。

「どう?今日は釣れたの?」
「いや、今日はダメ。」と私。

この島の持ち主である、インター婆さんは流ちょうな日本語で話しかけてくる。彼女は、久しぶりに日本人との会話を楽しんでいるかのようだ。僕らがこの島へ来ると聞くと、わざわざ料理の腕を振るうために、一緒に島へ渡ってくるのだ。僕らが今夜のおかずを取ってこないことを知ると、彼女は天蚕糸の先に鈎の付いた素朴な仕掛けを持ち出してきた。そのフックに夕べの残り物を絡めつけると、海へ向かってヒョイと投げ込む。そうして糸を垂れて夕日でも眺めようかという間もなく、獲物はすぐにかかる豊かな場所。

「あんたたちダメね、魚はこうやって釣るのよ。」年齢を重ねた顔に笑みを浮かべて僕らに語りかける彼女。こうしてその夜も新鮮な魚とともに、炎を囲んで仲間との語らいが始まった。

島へ来て既に数日が経ち魚の話も飽きたし何か話題をと、インター婆さんに昔の事を語ってもらった。春島の頂上付近にあるナバロンの要塞のような大きな砲台のこと。山本イソロクがこの海で死んだこと。この島にも慰霊碑があること、日本語は占領下時代に教わったこと、などなど。

「インターさんはいくつの時結婚したの?」と、私が訪ねた。すると彼女は、遠くを見つめながら広島弁で語り出した。

「私はね、若い時に結婚したの。相手は広島出身の日本人。ダンナサマとは恋愛結婚なのよ。子供ができ、幸せに暮らしていたのだけれど、ダンナサマは日本へ帰らなくちゃいけなくなり、返ったの。やがて子供も大きくなり、子供達がダンナサマの事を心配ししてくれたわ。だから私の子供達は日本へお父さんを探しに行ってくれたの。日本って大きいのね。広島に行けばすぐにわかると思ったのだけれど、だめだったの。でもね、ダンナサマは必ず帰ってくると約束したの。何かの事情があって帰れないのよ。私はダンナサマが帰ってくるまでいつまでも待っているわ。」

間も無く戦後50年を迎えるこの年。私は喉に何かが詰まったかのように、思うように言葉が出てこなくなってしまった。

先日、パールハーバーがあるオアフ島の釣行で島の住民に突然関西訛りの日本語で話しかけられた時、ふとインターバーさんのことを思いだした。彼女は元気でいるのだろうか。おしゃべりな住民の話をよそに、見上げた空にはトラックと同じ青が広がっていた。

2018/8/18追記:ファロス島の場所はココです。

台風の爪痕(奈良子釣りセンター)

季節は管釣りシーズンへと突入したので、私のユルユルな釣りがスタートです。管釣りは一人で行くよりも仲間でワイワイするのが楽しさの一つでもあるので、今回は海外遠征組の旧友達とBBQと昔話をしに、『奈良子釣りセンター』へ行ってきました。 このカンツリーは僕らの隠れ家的癒しの場所としてお世話になっている場所ですが、今年の8月に山梨県大月市を襲った集中豪雨で大変な被害を受けました。川の管釣りは一度大水が出ると魚は流され施設を破壊していくのです。被害にあうたびに復旧を余儀無くされるのですが、その努力には頭が下がります。そして今回の損害は今後の運営にも支障が出るほどの被害を受けてしまったのでその支援として、『奈良子釣りセンター支援プロジェクト』(10/20スタート)が立ち上がりました。この支援プロジェクトはただ寄付するだけではなく、寄付した方には色々な支援グッズが手に入りますので、皆様のご支援をおまちしております。

さて、その奈良子はどんな管釣りなのか? 知らない人もいるかと思うので一筆。東京からおよそ100キロという場所で、大月インターからおよそ20分ほどの釣り場。都内から近いけれど自然が溢れる管釣りで、川とポンドの釣りを両方楽しむことができます。土日はお客さんで溢れていますが、平日に出かけられる人は静かにひっそりとした釣りを楽しめます。BBQの施設もあるので、持ち込みでも手ぶら(事前予約)でもバーベキューを満喫でるのがここの特徴です。 そんな奈良子で昨日はのんびりユルユル釣行とBBQを楽しんできた次第。カンツリーのシーズンは始まったばかり。皆さんも是非お時間を見つけて出かけくださいまし。

現在は上流部を除き復旧しています。ただ、川原への道がとても狭くなってしまったので、BBQサイト周辺での駐車ができません。荷下ろしがある場合はその旨伝えて、荷下ろしした後に駐車場へ車を移動する必要があります。
BBQ小屋は復旧し、今まで通り使用できます。今回の釣りはユルユルなので、釣りの前にコーヒを入れて、ついでに炭起こし。

 

お肉の塊をドンと真ん中に。でもみんなそれなりに歳をとったので、お肉は小さめのブロック。そして野菜をたんと取らにゃいかんのです。
メインは和牛のモモと牛タン、そしてなぜかシシャモ。炭水化物が一切ないBBQ。若者がいないとこうなります(笑)酒の代わりに飲みなれたノンアルコールビールで乾杯。
上流部はまだこんな按配。深みが全くなくなってしまいました。でもできる限り早い時期に復旧したいとの事。しばらくは、このストレートの流れで何か新しいレクリエーションができないものか模索中だとか。当時の被害状況はこちらをご覧ください
そんな中でもお魚はすこぶる元気。フライフィッシングの人が少ないので、どれだけ釣れるんだ?という位入れ食い状態。止めれば良いのに意地になって釣りまくりました。なので本日は釣りすぎで右腕が少しイタイ・・。ポンドの釣りはフローティングラインオンリーで問題なし。現在はドライでバクバクです。
魚をヤマメとアマゴに絞って釣りをする場合、ミッジが必須アイテム。フライを22-24番のミッジピューパにして8Xにすると、ヤマメとアマゴのヒット率は80%ぐらいになります。奈良子は他の管釣りに比べると格段にヤマメとイワナが多いです。