「昔は良かった。」と先輩達が言っていた言葉を今は私が使う

釣りがパッとしないのはコロナのせいにしておいて、書くことがないので私的回顧録でも記しておきます。昨日何気なくFFJを読んだので、今回は頭の中にボヤッとある私が覚えている雑誌遍歴のお話。タイトルは「昔は良かった。」と書いたけれど、実際には「昔の本は面白かった(夢が詰まっていた)」かな。

釣りは何でもやる私なので、若い時に読んでいたのはルアーやフライに限った雑誌だけではありません、というかその頃はまだフライ関係の雑誌など一冊も無かったので当たり前か。

釣りを始めた当初にあった雑誌を書き出して見ると、主に読んでいたのはこんな感じ。

つり人(つり人社)・フィッシング(廣済堂)・Fish On(恒和出版)・ベストフィッシング(日本ジャーナルプレス新社)・釣りマガジンと少年釣りマガジン(桃園書房)

フィッシュオンは関西のバスフィッシング事情を知りたくて読んでいた本で、当時は入鹿池などを紹介してましたが、私はまだその場所へ一度も行っていません。またベストフィッシングは「べふ」と呼ばれていて、おぼろげですがそのペンクラブ(ベフペンクラブ?BFPCだったかな?)に入っていた記憶があります。

これ以外に同人誌で「釣りキチの本」(タイトルが違うかもしれません)と言うのがあって、雑誌では書けない釣り糸の検証の話などが面白く読んでました。

さらにタックルボックスは有名ですが、それが創刊される頃にはすでに某所の釣具屋で私はアルバイトをしてました。タックルボックス編集長がまだ大学生だったか卒業したてで、ネタを求めてよく来店されてたので、ネタを提供してた事を覚えています(創刊準備号〜3号あたりまでの中身がカラーじゃない時代)。そういえば、タックルボックス主催のバストーナメントも出たっけな。

私の曖昧な記憶を辿ると1976年前後からフライフィッシングを始めたのですが、当時はこの雑誌群でフライフィッシングの話が出てくるのは稀であり、その釣りは釣具屋で知った訳ですから、私のフライフィッシング創世期はほとんど手探り状態だったのです。時代があっているかわかりませんが、参考になたのはジム・グリーン著の訳本「フライキャスティング」と洋書を参考にし、後にスポーツノート(鎌倉書房)とシェリダン・アンダーソンの「フライフィッシング教書」(今でも売ってます)と言う感じかな。ちなみに釣りキチ三平くんがフライロッドを握ったのは1981年頃です。当時の本から得るものは基礎知識と少しだけの実践方法だけだから、フライフィッシングのほとんどは多くの失敗と間違いから学んだのでした。

そして廣済堂からアングリングが1983年に創刊されてルアー&フライのブーム到来(イメージ的にはもう少し前から)。さらにその後にフライフィッシャー(1988年)が出たという訳です。ちなみにFFJは1982年でアングリングとほぼ同時期に始まった同人誌で、そこからスピンオフして生まれたのがフライの雑誌(1987年)になります。

今は何でも情報がネットで簡単に手に入る時代。とは言ってもその情報はとても浅くアフィリエイト稼ぎが大半なので、長たらしい文章を読まされても(その長文を書いている本人ですが)知りたい情報が一行しか無かったりするのが残念でならない。それに比べると雑誌のネタは内容がとても濃く、読み応えがあり、釣りに振り切っているアブナイ人たちの集まりに出会えるのです(笑)。皆さん最近雑誌を買ってますか? 現在は数少ないフライフィッシング関係の雑誌は『Fly Fisher』と『フライの雑誌』しかありませんので、たまには紙の雑誌に触れてみてくださいな。

書いていて何を言いたいのだかわからなくなったので、この辺で終わり。以下にはハーミットにある古い雑誌を一部紹介。そして最後に今週の管理人?でも書いておきましょうか・・・。

ジム・グリーン著『フライキャスティング』
フライフィッシング教書とこのフライキャスティングは誰かに貸して帰ってこないので、後に書い直したもの。このフライキャスティングは初版が昭和47年と書いてある。ティムコさんが始まったのは昭和44年。
FFJ(フライフィッシングジャーナル)5号
通称はFFJ。こちらはお客様の寄付によりハーミット図書館に置いてありますので、日本のフライフィッシングに触れたい方は、是非ご一読ください。
マインドアングラー(ツルチャンブック)
フライの業界が一気に大きくなったのはサワダさんの活躍が相当貢献していたと思います。(それ以前は芦澤さんかな?)その沢田さんのところで出されていた雑誌。名前の通り読むと沢田さんの精神を受け継げる正統派ウェットのバイブル。
アングリング1月号
このアングリングの1月号はとっても濃い〜い雑誌で、沢田さんの2尺ヤマメの話、本栖湖のブラウントラウト、丸橋さんのセールフィッシュの話が書かれています。そして私もその端っこでアラスカのフライフィッシングの話を書いてます。再開された『水之趣味』は中綴じでフライ&ルアー専門になっています。それ以前の平綴じの方も作り込みがとても綺麗で読み応えのある雑誌でした。
枻出版の『Streamside』と『Giji』
枻出版からは『Streamside』が出版されていた時代も。バスワールドと同じ体裁で綺麗な作り込みの雑誌。『Giji』は今ではルアーフィッシングの雑誌ですが、当時はルアーとフライが半分ぐらいの比率で記載。当時の私はどちらかというと裏方で、レイアウトデザインの方を主にやってました。
ウィンストンのマイクロスペイとバックワインダー
そして今週の私.微増水でものすごく釣れそうな予感に対して、ロッドはピクリともしない。7つのラン(流れ)を回って何事もありませんでした。リールはマーキスをやめてバックワインダーをセット
6番のダンケルドを咥えるカワムツ
スイングしていると明らかに雑魚のプルプルが。全くお重さを感じず上がってきたのが6番のダンケルドを咥えるカワムツ。雑魚でも掛かると嬉しいのは、今年はその雑魚がなかなか掛からないから。鮎の遡上はスローペースな感じを受けます。毎回言ってるけれど、来週あたりからよくなるかも(笑)、というポジティブな考え。

2020年を振り返る(ハーミットの管理人の12ヶ月)

ハーミットの営業も本日が最後。今年も皆様のおかげでなんとか頑張っていけました、ありがとうございます。また、多くのメーカー様、そして私の釣りをサポートして頂いたガイドや地方の皆様にも大変感謝しております。コロナのおかげでネガティブなイメージはまだ抜けませんが、今年一年を振り返って、2020年のブログを締めたいと思います。

そして来年はより一層良い年でありますよう、皆様の健康と御多忙を願っております。ハーミットは年明け3日からスタートいたしますが、新年会はありませんので、お酒を持って集まらないようにお願いいたします。

では今年の一年を写真で振り返ってみましょう。

カマスフライ
1月の写真を見たら、ありゃま、魚の写真がカンツリ以外ないじゃないですか。2019年台風19号の影響もあって、鯉釣りも魚がいない撃沈状態でした。初っ端からついてない2020年なんです。
台風19号の影響
2月はオイカワ釣りをしながら台風の影響を確認した日々。河川は一変し、徒歩でしか入れないポイントが増えました。3月の釣りに備えてだったのですが、結局コロナのおかげでまともな釣りができない日々へと突入。
ヤマメ
何処にもよらず直行直帰のフライフィッシング。釣り場には一円のお金も落ちず、なんかモヤモヤのフライフィッシング。大きく移動することも考えてしまうので、一河川をずっと朝から夕方まで粘って釣りしてましたよ。
4月になったら状況が好転することもなく、釣りへ行くこと自体が悪い事をしているように思われるので、人知れずの場所でそっと釣りをする感じ。なんか楽しくないんです。
遠方へはいけないのでなるべく近い河川でキャス練とフライフィッシング。大物釣りへ出かけられないので、寂しい釣果が続いた5月。
大尻沼
ようやく各地への釣りができるようになった6月。でも東北の漁協のページには関東の方はご遠慮くださいと書いてあったので、関東圏の釣り。午前中は大尻沼で釣って、午後は川でイブニングフィッシング。釣りにかなり飢えてました。
ヤマメの季節はあっという間に過ぎてしまったので、源流部へイワナ釣りの7月。釣りに行けなかった反動から大雨でも出掛けて増水している川の端っこにいるイワナをやっつけるスタイル。
8月は遠征して渓流へブラウンハンティング。歩いて登っての繰り返しの果てにようやくパラダイスが・・、ありませんでしたね。
ヤマトイワナ
9月は渓流へあまり行かない私が珍しく関東を脱出してヤマトイワナハンティング。グラスのフライフィッシングって楽しい〜!
イトウは何処?
10月は北海道のイトウ釣りとシーバス三昧の日々。イトウの結果は小さかったけれど、シーバスは研究した分だけトップウォーターの大物フィッシングが楽しめました。
関東圏のオオニベポイントを探して歩いた11月。その嬉しい外道がヒラメくん。美味しく頂きましたヨ
フライでヒラスズキ
そして12月は某所で釣ったヒラスズキ。サーフキャスティングでロクマルオーバーはとても嬉しい結果。サーフで釣ったことがない魚種をこれからも増やしてみたいです。皆さんの一年はどんなでしたか?私は来年に向かってこの正月はタイイングモードになりそうです。では、良いとお年をお迎えください。

スコットの歴史遺産

先週のライブ配信用にコレクターの方からお借りしたスコット リール。かなり珍しい物だとわかったのは、このリールの事をいくら調べてもネット上に写真はおろかその情報もなかったので、その経緯がわかりません。なので歴史遺産として写真でも撮って残しておこうと思った次第です。

ちなみに私はビンテージタックルには全く興味が無く、自分で持っている古いものは今でも使っている物がほとんど。その手元に残っている物は学生時代にお金を貯めてようやく買った品物か、大物の思い出が詰まった物達です。なので個人的歴史価値はあるものの、陳腐な物ばかりで売れる物なんてな〜んもありません。

そうそう、一番古いものは多分小学校時代に買ったガルシアロッド2132Aかな? 私はこのロッドしか渓流用ルアーロッドはなく今でも現役で使っている、自分が凝らない所はお金を掛けないビンボー症でゴザイマス。

話は逸れちゃいましたが、このリールの構造は見所が結構あるので、お暇な方は是非ご覧くださいまし。内容は私の憶測ですので、鵜呑みにしないでくださいね。

Scott POWR-PLY Reel
そもそもスコットがリールを作った事があるというのが、私にとっては衝撃の事実。ウィンストン なんかもありますが、ハーディやサラシオーネのOEMだったりだけれど、このリールはもしかして本当にガレージで作った手作り?その経緯を知らないので、知っている方は是非教えてくださいまし。ちなみに外から見た構造はフルーガーと同じ。鉄板を支柱で止めるという方法でボディが構成されています。ドラッグは反転時にドラッグノブはストップします。ちなみにこのリール左巻き専用機みたい。
Scott POWR-PLY Reel
とても複雑な構造になっていて、スプールリリースは背面にあります。それも外れるのはセンターシャフトとドラッグ心臓部が外れ、続いてスプールを外す、と言った具合。ちなみに初期によく使われていた「パワープライ」という言葉がありますが、実はこのリールの名前だということを、持ち主にお聞きしました。
Scott POWR-PLY Reel
ドラッグは複雑な構造になっていて、ドラッグ機能は真鍮の多板式。表面からSCOTT &1と書いたドラッグノブを回す事でドラッグが締まります。この部分だけ外してもスプールは外れません。
Scott POWR-PLY Reel
背面のスプールリリースで外すと3分割になります。見えているベアリングはビンテージ感が凄い。そしてクラッチは外したセンターシャフトが残っているメイン部分と噛み合って掛かる仕組みでとても複雑。なので一旦シャフトを外すとどうやって戻すのかに、とても悩んでしまいました。
Scott POWR-PLY Rod
こちらは1975年に初めてスコットが作ったグラファイトロッド。当時はサンフランシスコで作られていました。
Scott POWR-PLY Rod
ロッドのスペックは9フィート4番2ピース。まず持った時に驚いたのは、9フィートという長さにも関わらず、めちゃくちゃ軽いという事。現在のロッドと遜色ないくらいメチャ軽いです。強いていうなら昔のロッドなので、キャスティング時のロッドストップ時にロッドのバイブレーションが残り、美しいループを作り出すには投げ手側スキル次第といった所。
Scott POWR-PLY Rod
リールシートはコルクフィラー、ダウンロックスライドバンド。昔はプレスされたアルミのリングが多く、フェンウィックやブローニングなどもアルミでしたね。
Scott POWR-PLY Rod
スレッドワークがとても綺麗なので、こちらはレストアされた物だと思います。書き文字は当時オレンジカラーだったのですね。なので、ティップ側が赤になっているのは新たに書き直されたのだと思います(シリアルナンバーなのでモザイクかけました)。
ストリッピングガイドはオリジナルなのかな?スネークガイドは新しいもののような気がします。
1975年製なので、スピコッドは余裕がないのかと思いましたが、そんな事ありませんでした。振り返って、今回お借りしたこのロッドの軽さは衝撃的でした。そしてスコットリールの存在も何人が知っていたのでしょう。フラフィッシングの世界はまだまだ私の知らない事だらけ。これからも精進いたします。

本当はハーミットじゃ無かった

ハーミットの歴史はもうすでに20年以上が経ってしまったけれど、私の釣具屋人生はもうすぐ40年になっちゃうんですな。なので古い馴染みのお客さんは30年以上の付き合いの人もいます。皆さん白髪混じりになったけれど、アルバイト時代に仲が良かったお爺ちゃんは、とっくに亡くなってたりします。

前にも話した事があるかと思いますが、私は大手釣具店さんに長い事いたので釣りはなんでするフィッシャーマン。その会社では何でもやりたい事はやらせて頂いたので今でも感謝しておりますが、当時自分が読みたくなるような釣り本がないので、それを作りたくて会社をスピンアウトした次第。

全く違う業種への転身だったので辞めると決めた一年前に当時高額だったMacとプリンターを買い込んで、専門書を買い込んで夜な夜な編集の勉強してました。実際辞めてはみたものの何をどうしたら良いかわからないので、一から学ぶつもりで某出版社へ。転がり込む様にして働かせてもらっていたのですが、時代の波が合致していたのか先行投資していたPCで本を作る作業(DTP)ができる人がまだおらず、いつの間にか仕事がドッサリ。自分の企画を持ち込んだりして色々な本を作っていた良い時代です。

そんな最中、アメリカのモンタナにあるダンベイリー社が日本に支店を出したいと言う話があり、その支店をお前がやらないか?と言うお話を頂いたのです。で、私は一人モンタナのリビングストンにあるダンベイリーへと渡ったのです。

ダンベイリーと言う会社は1938年創業の戦前からある老舗で、コマーシャルフライ(完成品フライ)を中心に世界へ向けて通信販売をしていた会社。多分私ぐらいフライ歴がある人はご存知で、カーフマン(廃業)などと同様に現金小為替で注文していた人も多いはず。そんなダンベイリーへ行ったらやはりそこでもクォークエクスプレス(当時使ってた編集ソフト)を使ってカタログやイベントのパンフ作りをしながら、その屋根裏部屋に住んでたんですよ、ひと時。

日本へ帰っていざその支店準備を始めると、釣具屋って開業するのに莫大な資金がかかるんですな。特に都心だと保証金と礼金だけでも物凄い額で目ん玉がぶっ飛びます。そしていざ始めようと思った時にダンベイリーが手をひいてしまい、やらざる状況に追いやられて始めたのがこのハーミットなのです。そう、ここは当初の予定ではダンベイリー・東京ブランチの予定だったんですな。

ではこの店の名前はどこから来たのか?実は命名したのは私じゃありません。当時私は編集関係の仕事で忙しかったので釣り仲間のT君を店長にし、彼に命名を任せたんです。もっとも私よりも当時は彼のほうが世捨て人っぽかったですからね。

先日のモンタナは久しぶりに里帰りした気分でそのダンベイリーがあるリビングストンへ。今も変わらぬ場所にお店はあるのですが、当時の面影は全くなくフライフィッシャーマンの殿堂壁と呼ばれた魚拓状の板だけが、当時の繁栄を感じさせるものでした。私が住んでいた屋根裏部屋はまだあったけれど、街の中身は大きく変わり始めている様に感じます。でも、その側を流れるイエローストンリバーはこれからも流れ続け、私達が死んだ後もトラウトを抱き続けるのでしょう。

釣り人御用達モンタナの玄関口と言えばボーズマン。だいたい1割くらいのお客さんがフライロッドを持っています。その空港へ降り立つとこんな熊さんの像がお出迎えしてくれます。
リビングストンの街のほぼ中央にあるダンベイリーの外観。マテリアルのある小部屋は私がいる時までは、タイングするオバちゃんが数名いました。ひと昔前はその部屋に女工さんがズラっと並んでフライタイイングをし、それを販売していたのです。
今回はお休みの日に行ってしまったので、過去の写真を引っ張りでして記載。今はものすごく閑散とした雰囲気で、壁にズラリと並んだトラウトの魚拓ならぬ板拓(実際にはなぞっているだけ)が時代を感じる。古いものは戦前の板があるんです。
リビングストンの街に高くそびえるこの建物は1940年代に建てられた穀物用エレベーター。鉄道の駅舎跡が近くにあり、毎朝6時過ぎの貨物列車の汽笛で当時私は起こされてました。
リビングストンの中心部。車とアスファルトが無かったら開拓時代を感じさせませんか?街に信号は二つ。映画館は一つ。釣具屋はたくさん。
ダンベイリーの隣はマーレイと言うホテル。その一階にカウンターバーがあり、仕事が終わるとそのバーでルームメイトやガイドと一緒に毎晩ビールを煽ってました。

ひょんな事から思い出がコンニチワ

時代の変化の問題ですが、銀塩カメラからデジタルカメラに変わる時期は銀塩を忘れた時はデジカメで撮ってました。ですが、そのデータはおろそかな扱いだったので、2004年あたりから2007年あたりのデータがコンピューターの入れ替えも手伝ってゴッソリとありません。

で、少し前のこと。Macに標準装備してあるiMovieをいじっているとその当時のサムネールが出てきました。それをいじっていると、一部は写真が拡大できるんです。それをスクリーンショットしたのがこの2枚。

実はイスラホルボッシュのターポンDVDを作った後、データを間違えて全部捨ててしまっていたのですが、なぜかこのような方式だと呼びされるんですね(当時のDVDはFINAL CUT PROで作ってたのですが、高かったなぁあのソフト)。

引っ張り出したターポンの映像を見て思うのは、50代のうちに、あと1〜2回はターポンを釣りに行きたいなぁ。私がメキシコへ行くためには皆さんがどれだけハーミットに貢献して頂けるかに掛かっています。どうぞヨロシク(笑)

ハーミットのiMacは27インチあるので、スクリーンショットでも結構な解像度で見る事ができました。でも残念ながらサムネールのうちの1/10ほどしか大きくなりません。それでも全く駄目よりもマシですね。そしてついでに思い出したことは、ポジフィルムのデータ化が進んでおりません。スリーブじゃないからスキャニングが大変・・。

さよならランディングネット、とならないように(ローズクリーク・ネットリリーサー)

釣りへ行くと必ず失くすものラインキング第一位は、多分フォーセップ かな? 皆さんは今、頷いたでしょう? そしてポケットから落ちるフロータント、さらにティペット。これはフライフィッシャーマンあるあるで、自分の事でもあります。

私が無くしたものの中で高額な品物といえばいろいろありますが、話が脱線しないようにランディングネットの話をしましょう。

ランディングネットを失くす原因は数あれど、皆さんの中で一番多いシチュエーシンは藪漕ぎじゃないでしょうか? 道なき道を進み源流へ入りいざ釣りへ。しばらくして大物が掛かった時にランディングネット に手を伸ばすと、いつの間にか無くなっているというのは、私以外でも経験した事がある人がいる筈。仕方なく歩いて来た道を戻るのですが、こんな時ランディングネットの網がオレンジだとすぐに見つかるのですが、渋めのオリーブやグレーなんかだと見つからないんですね。この時の損失は約3万円とくりゃ、いくら大物を釣ったとしても思い出す度にうなだれるのです。

そして私は湖でもやらかします。だいたいイブニングで大物を取った時にやってしまうのですが、ランディングネットをバックに写真を撮り、興奮のあまり魚をリリースした後にそのまま忘れてしまうパターン。酷い時は数日以上経ってから気づくのです。この時の損失、モンタナのブローディンの工場で社長から直接買ったフロートチューブネット。一番高いヤツを買ったので悲しさが半端ありません。

そして本題は「ローズクリークのネットリリーサーに付いているコードってどうやって使うの?」という質問。ランディングネットをなくさないためのコードなのですが、その使い方を以下の写真を参考に使って、私のようなヘマはしないように。あ、それでも撮影時にクリップを外した後に、再度付ける事を忘れちゃうと無くしちゃいますので、気をつけてね。

ネットリリーサーの取り付け方1
写真に写るリリーサーとネットは私が使っている物なので年季が入ってます。まずネットの網の頭に長い方の雄ジョイントをスナップ留めします。
ネットリリーサーの取り付け方2
付属の小さい方はベストの後ろにあるD環にスナップ留めします。
ネットリリーサーの取り付け方3
その双方を繫げるとこんな感じ。ここまでは皆さん理解されていると思います。
昔だったらこの位置にキーバックチェーンをつけましたが、ここに付属のコードの端を二重リングで留めます。
マルチクリップ活用方法
反対側にはティムコのマルチクリップを取り付けましょう。この部分は皆さんの工夫次第です。
マルチクリップは便利なツール
マルチクリップはどこにでも挟まり、外れることがほぼありません。なので、左手でランディングネット を持つのであればベスト左の前方の好きな位置にクリップをはさみましょう。
するとこんな感じ。魚が掛かったらネットを左手で引っ張って取り、ランディング。忘れそうになってもベストと繋がっています。撮影する時にこのコードが邪魔であればクリップを外せば良いのですが、そのまま元へ戻すのを忘れると、ネットを紛失してしまいますのでご注意を。
なんかコードが長すぎて邪魔だと思う人は自分なりに詰めて端は適当に結んで使ってください。それでも邪魔な方にいろいろと代用品を試してみましたが、一番短くてギリギリ使える長さは、ダイソーやアマゾンなどで売っている携帯用のカールストラップコードです。ただしクリップがすぐに壊れちゃうのとちょうど良い長さが無いのす。いずれにしても用心しないとなりませんから、やっぱりマルチクリップの方が安心。皆さんもいろいろと工夫してみてね。(ちなみにこの100均のカールコードはフォーセップ の紛失防止には役立ちます。)

秋の陽射し(朝霞ガーデン)

というか、本当に秋の陽射しなの?と問いたくなる先日の日曜日。外気温は30℃越えの中、10月はカンツリーボーイになる私は息子を従え朝霞ガーデンへと行って参りました。

私が朝霞ガーデンに行き始めたのは今から35年位前のこと。それ以前の都内近郊の管釣りと言えば豊島園で、冬にプールを解放されるぐらいしかなかった時代。朝霞ガーデンは丁度エサ釣り中心からルアーフライエリアに変わったので、釣り仲間と行き始めたのがその頃。

当時は手前の池が解放されていて、奥は餌池と鯉池だったかな。さらに奥はガマの穂が立ち並ぶ荒地でライギョが住んでいた沼地。無論コンクリートなんて引いておらずの泥道。対岸の家もまばらで雑木林があり、そこから落ちてくる虫をレインボーはついばんでいたのを見つけてドライフライで楽しんでました。そう、当時の平日は僕ら以外なんて誰もおらず貸切状態。

それが年を追うごとに人が多くなり、コンクリートが引かれ池が増えて今の形になった。バブル絶頂期のピーク時には恐ろしいほどの人が訪れ、駐車場に車が入りきらず、臨時の警備員に隣の公園へ誘導されたほどである。その時代は朝霞ガーデンで釣りをするのに整理券をもらって順番待ちをした程の人混みだったが、その景気はわずか数年であったと記憶している。

あれから何十年も経ち、さらに管釣りブームもひと段落。そしてフライフィッシャーマンは高齢化になり、近くの管釣りに集まりだすかと思ったけれど、今や日曜日に訪れてもそれほどの混雑も無いフライ専用池。フィッシュオン・王禅寺のフライ専用池が半分になってしまった様に、朝霞ガーデンも夕方からルアーの人々にも解放されている。

フライフィッシング人口はもはや減少の一途。このまま消滅しちゃうのかなぁ?そうなったらハーミット消滅でしょうな。そんなカウントダウンにならない様に、日夜頑張っている次第です、ハイ・・・。

空の青は秋っぽいけれど、30℃越え。写真に映るルアー池は、昔のコイ池があった場所だと思う。餌池隣の駐車場もなかった気が・・。写真にある駐車場あたりは当時は荒地。なのでフライ池や2号池なんてのは、人が多くなってきてかなり後に出来た池なんです。
暑さに耐え管釣りを楽しむ息子は年に5-6回の釣りだから、一向に上達せず。でもこの歳になってもオヤジに付いて来てくれるのは、ちょっと嬉しいかも。
冬のフライ池。この周辺は昔は雷魚が普通に釣れたけれど、今は何処へやら。周りの住宅もいつの間にか多くなって綺麗になってますな。

暴発(放置するとこうなるライフジャケット)

愚息がまだ小学校の高学年だった頃、春休みという事もあって芦ノ湖へ釣りに連れて行った事がある。まだキャスティングがままならないのでルアーの方が良いだろうと思い、スピングロッドにミノーを付けて投げさせていたのだが、サミングを知らないから岸に向かって投げると全て木に引っ掛かっちゃうんですよ。

ある程度のキャスティングを教えても数度に一度は引っ掛かり、その度に船を岸際に張り出した木に寄せてルアーを回収していた時の事。何度目かの回収に向かいエンジンをニュートラルに入れてミヨシ(船首)に向かい引っ掛かったルアーを取っている最中に、突然の強風が吹き煽られ重い船はそのまま岸際の木へめり込むように突っ込んだのである。

私は海老反りになり、もはや湖に落ちる以外の選択肢しかなかったが、自動膨張式の救命胴衣を着けているから「ま、試しに落ちても良いか。」的な感じで頭からドボンとダイブした。

落水して数秒が経ち立ち泳ぎをしている私を見て慌てる息子。私はというと、いつ膨張するのかと待っている状態。しかし10秒ほど経っても膨らまないので、3月下旬の寒さもあってすぐに船に上がったのである。

実際に落水にて膨張した事がある人に事前に聞いていたので、開くまでの数十秒間がパニックになると言われていたので冷静に対処した訳なのだが、船上に上がってしばらくしても開かないのである。

構造を調べるとプラスティックのコマに厚手の紙のようなものグルグルと巻きつけてあり、それが溶けると引き金が突き破るような感じで膨張する仕組みになっているらしい。どうやらその数十秒間の浸水では私の場合はその濾紙のような紙が溶ける(伸びる?)事はなく、その後は乾いてしまったので、膨張する事はなかった。

先だって中禅寺湖釣行の準備をしていたら、車の中に何やら見慣れぬ黄色いものが見えたのだが、8年の時を経て私の知らぬところでコレが暴発したようである(笑)。

人の命を支える道具、私のようなズボラな管理では命は守れませんので、皆さんには定期的な点検とボンベ交換をお勧めいたします。来週は沖縄なんだけれど、交換シリンダーが間に合うかなぁ・・。

8年ぶりに中を点検?と言うか、暴発したんだからもう点検ではなく交換です(笑)雨で濡れて暴発しないように、自動膨張の部分にはカバーがあります。この部分を濡らすと暴発します(ライジャケを着けてシャワーを浴びた方が暴発しました)。以前調べた時は突起がまだ貫通しておらず、紙が踏ん張っている状態だった。シリンダーには見事に穴が、下に隠れているオレンジ色のコマから突き出た銀色の棒が、膨張するための引き金です。あと二つ救命胴衣を持っていますが、残りは手動式なので、このコマが付いておらず、紐を引っ張ると膨らむと言う寸法です。落ちても冷静に対処できる人は手動式で問題ないと私は感じます。

HMT of the Year / ROD

私が釣りを始めた幼少期はグラスロッド全盛期。フライフィッシングを始めた頃にようやくカーボンロッドが出てきた時代だから、フライフィッシングを始めて最初のロッドはもちろんグラスロッドでした。シェイクスピアの入門セットで¥9,800くらいだったと思う。その後にお年玉を貯めて買ったのがフェンウィックのFF765というグラスロッドで、当時は5-6番が標準ロッドでした(というか3番なんてなかったもの)。カーボンのフライロッドを手にしたのはそのずっと後で、最初のカーボンはスピードスティックのフライロッドだったかな?余りにも古い話なのでちょっと思い出せない。

グラスロッド時代はその復元力の弱さにキャスティングループに波が入り、それをどう殺して投げるかがキャスターに求められたもの。ロッドは重いのでリールをわざと重くして手元にバランスをくるようにしていたのである。それがグラファイトに変わるとそのバイブレーションは非常に抑えられるようになったが、ロッドテーパーは試行錯誤の時代で、人の好みにより大きく人気が別れたものだった。

フライロッドを40年間振り続けて私が思うことは、今のロッドの進化は本当に凄まじいもの。ロッドのバランス、軽さ、復元力、テーパーのスムーズな曲がり、どれを取っても昔のロッドとは比べ物にならない。メーカーが安易に”effort less”(努力知らず)”を多用するのにも合点がいく。もちろんバンブーロッドやグラスロッドにもメリットは沢山あるけれど、多様性で考えればグラファイトロッドが現代の主軸となっていることは間違いない。ただしグラファイトロッドは優等生が多く個性がなくなったことは事実である。また、古いロッドを良しとする人は玄人であるから、キャスティングが上手な故にわざと難しい方向へ行きたがる傾向なので、自分のキャスティング能力に酔いしれるために懐古主義になるのでしょう。

話が逸れそうなのでここで修正して今年のハーミットが選ぶHMT・タックル・オブ・ザ・イヤー・ロッド部門の話へ。一つだけ紹介しようかと思ったのですが、甲乙つけ難いので、二つあげます。

まずはTFO のBVKシリーズ。こちらのシリーズは発売されてからすでに10年近く経っていると思うのですが、その人気は衰えず価格以上の価値があるとお客様からの声が多いロッド群。私が勧めなくても勝手に売れてくれる素晴らしいロッドです。以前はTFOフィネスがそのような感じで、ネットに広がる持っている人の評価を見て、連鎖的に購入者が多かった感じ。それが現在は時代がもう少し張りのあるロッドを求めているのか、BVKにやや分があるようです。ロッドのコスメには賛否がありますが、グラファイトシートと穴の空いたシートリングなどが今のラージアーバーリールに合うのでしょう。

そしてもう一つのロッドは今年もハイエンドのロッドとしてとても人気があったScottのラディアンシリーズ。スコットの新しいGシリーズはもちろんとても人気があり供給がまだ行き渡ってない状態ですが、発売して間もないので年間のトータルで見てスコットのラディアンに決めました。最近は北海道に遠征する人が多くそのメインロッドとしてラディアンを使う人が多いので、とても活躍しているロッドです。私もその一人で湖のドライと北海道の渓流用に購入したのですが、私のラディアンはとても出番の少ない一年となってしまいました。

ということで今年はこの2シリーズを表彰します。私がウインストン愛が強い人だからWinston・エアを表彰すると思ったでしょ?でもね、エアは少し価格が高いというだけで評価する人の数が少なないんです。リールの表彰と同様に私の気持ちをゴリ押しするのはちょっと違うと思うので止めました。もちろん皆さんにエアの良さを知ってほしいのですが無理強いはしません、ハーミットですから。

今年の写真を見て思うことは、ダブルハンドのロッドを振っている時期がとても長かったこと。そしてエアを入手以降はずっとエアの写真ばかり(笑)。そりゃそうだ、ロッドを手に入れたら誰でもそのロッドで釣りへ行きたくなるでしょ?

デジャブ(本栖湖の思い出)

「そうこのタイミング、そろそろ食いそうだ。」
はてこの感覚、どこかで感じたような・・、もしかしてデジャブ?

いえいえそうではりません、先週と同じタイミングで同じ場所に入っただけ。龍ケ岳に陽が重なる頃に突風が数回吹き、それがおさまった後にゴツンというアタリ。まさしく最後の〆は先週と全く同じでした、最後だけね。

既視感(デジャブ)は通い慣れた場所では得られないけれど、忘れられない体験を再び感じたくて通う本栖湖。午後になるとロクマルサイズ以上が日に2本出た過去を思い起こして、同じコースを辿っていることが多いこの頃。あれは1998年だったかな?釣ったのは私ではありません。

ハーミットが始まった当初は年末に「世捨て人俱楽部・忘年会」というのを一泊二日で行なっていて、それは忘年会と竿納会を兼ねたような行事。当時の私は前乗りして本栖湖で試釣してました。その試釣している時に出会った大きなメスは岸から3〜4mのところを悠々と横切り、何事もなく回遊する貫禄のボディ。こりゃ明日は釣れちゃうな、とポジティブな戦略を立てることにした。本栖湖の大物は私的感覚だと左回りで泳ぐ。要するに釣りをしていると左から右へ向けて泳いでいくケースがほとんど。だいたい岸際を10mほど泳いだら沖へ行き、15分ぐらいするとまた同じ場所に戻ってくる。そしてクルージングは小一時間で終わる。そのタイミングさえ掴めれば釣れると私は思っているのデス。

その翌日、河口湖で宴会を終えた二日酔いの集団は本栖湖へ移動し、朝の釣りはゆっくりとした時間から。当時は日中でも放流ものはよく釣れたので、横並びで12名ほど入って釣りをしても、ほぼおデコがない感じ。皆が釣れたことで釣具屋の仕事は終り、黙っていた大物の回遊時間が間も無くだったので、ゆっくりとウェーダーを履き準備を始めた。

すでに私以外の人は釣りをしている訳だが、その中で当時流行り始めたダブハンを初おろしし、ぎこちないオーバーヘッドキャストをしている釣り仲間は良い位置でキャスティングをしていた。見よう見まねだけでやっているキャスティングは全然飛ばず、ラインが足元に固まって落ちるミスキャストを繰り返す。それを見た他の連中はその姿を揶揄していると、そのラインが突然走りだし大騒ぎ。強運の彼が捕えた獲物は見事な65cm。してやられた私は、羨ましさでいっぱいだったのでゴザイマス。しかし話はここで終わらず。

大物を目の前にしてより一層力投する仲間たち。すると横並びで釣りをする一人が更に一回り大きいトラウトを発見。「デカイ!、そっち行ったよ! と、点呼を取っているかのように次々に右へ右へと言葉がこだまする。右から3番目ぐらいの場所でウェーダーを履かずニーブーツでユルユルな釣り姿の彼は、その言葉が聞こえない様子。自分の釣りに夢中で何事もなくフライをピックアップしようとしたら、そのフライにまたしても大物が掛かってしまった(この話は最後にオチがあるのですが、話が長くなるで続きはお店で聞いてください)。本栖湖は初挑戦の人に優しく、そして魔物に取り憑かれたよう通い詰める私のような釣り人には、滅多に微笑んではくれないのである。

その思い出をたどり、もしかしてデジャブ的な感覚は訪れるのかも? と期待して、冬になると同じ時間同じコースにフライを投げ続けるこの20年。変わらないのは当時ニーブーツ姿の彼が乗っていた岩がまだそこにあること。そして変わらずに投げ続けている私。この二つだけかもしれない。

先週よりもちょっと雲はあるかな?朝の時合いは何もナッシング。陽が射してきて40くらいのヒレピンがフライを追いかけてきたけれど、その差は縮まらず。追いは一度のみでした。
釣り人、一本の杭になるの図。これも先週と同じですな。この場所で爆投していると、目の前の水面に落ちた虫を食いやがった。慌ててシンキングを投げるとびっくりして逃げるヒレピンレインボー。本日は風が無さ過ぎてダメだな、と感じた時間。
風がないのでサイトフィッシングに切り替えてドライフライをセッティング。あまりにもぺローンとした水面だと、たとえ見つけてもその距離が詰まらない。20mの距離があっても逃げちゃうし、フライラインの影でも逃げるんです。透明度の高い湖の宿命。ちなみに、ここ数年はサイトフィッシングがうまいことハマる日がありません。
こうしてのんびり景色を見ているだけでも良いんです、本栖湖は。溶岩帯にて。
溶岩帯の溜まりにバス君でもいないかと思いましたが、皆無。本日はベイトフィッシュがなぜか少ないです。
先週と同じ光景。ヒレ無し放流もの。でもロッドを絞ってくれただけありがたい。この後もう一本掛けたけれど、写真を撮る前にオートリリース。同じくヒレ丸でした。フライはウーリーバガーブラック#8丸呑み。写真で見るとダブルハンドですが、ロッドはマイクロスペイ。オーバーヘッドシングルハンドで振っています。
現在のプライムタイムは、朝は6時〜8時。イブニングは3時30分〜4時40分ぐらいかな?話に出てくる大物が2本キャッチされた日は、12月29・30日。私が釣った本栖湖最大魚は12/31だから、やっぱり年末年始はピークでしょう。